10月14日ユニークフェイス読書会を振り返って

Mixiのコミュニティでの私の記述とほぼ同じ内容を転載します。Mixiされていない方がいらっしゃるので)

来てくださったみなさん、14日はどうもありがとうございました。
本の内容に照らして話したこと(+α)を、簡単にメモ程度ですが、まとめておきます。

扱った文献(The Psychology of Appearance (Health Psychology)(PAP)Rumsey, Nicola /Harcourt, Diana /Publisher:Open Univ Pr Published 2006/02 US$39.95)↓
http://d.hatena.ne.jp/uniqueface/20060820/1148990549

①コミュニケーションの得意・苦手

P.94にて。症状を持つ子供にも、得意な子も、苦手な子もいる、という統計があります。

P.105にて。当事者には、とてもコミュニケーションが得意な人と苦手な人、両極端に分かれがちになります。おおざっぱに言うと、次のようになります。

得意な当事者は得意な非当事者よりも得意になり、苦手な当事者は苦手な非当事者よりも苦手になります。
ようするに、得意な順を列挙すると、次のようになります。

1.得意な当事者
2.得意な非当事者
3.苦手な非当事者
4.苦手な当事者

そうした実験(1986年、ラムジーらによる)が紹介されています。

もちろん、そんなにすっぱり分かれるものでもないだろうとも思いますが、うなずけるところもあると思います。

「当事者は、コミュニケーション技術を無理してでも習得しないとやっていけないので、必要にせまられてうまくなる」
といったご意見がありました。まさに、私が言いたかったことです。

②P.117、ディスカッションポイントの3番目「ユニークフェイスな人とそうではない人において、見かけの概念に関する共通点と相違点は何か?」

私は共通点としては、「自分への見方の軽さ」が似ている、と思います。深刻なほうの見方ではなく、軽いほうの見方です。(軽い、と言うと語弊があるかもしれません。わりかし平凡な見方、とでも言いましょうか)
当事者は「ヤケドを負ったけれど、命は助かった」などと思っているのに、家族はショックを受ける。当事者は脱毛した頭を鏡で見慣れているのに、非当事者に初めて見せるとショックを受けられて困られてしまう、など。そうした状況です。
非当事者の例で言えば、自分では当たり前に見ていた化粧や体格や服装を、他人から「ケチをつけられる」とか「それはよくないからこうしなさい、と言われる」といった状況です。

すこし、本の著者の意図する質問の意味とズレるでしょうか。

私が「わりかし平凡な自分への見方」と言ったのは、スティグマとか(自分にとって当たり前の)身体の部位が他者から見ると、肯定的にも語られることがある、ということを踏まえてです。
「自分では、異形を、平凡なものとかスティグマとして見ていたのに、カッコイイと言われた」とかあるわけです(逆に、「わざとこうしてるわけじゃないのに、『そんなふうにして、けしからん』と見ず知らずの人から言われたり」ということがあるわけです[※])。

([※]このことについては、すこし考えていたことがあります。『繋がりと排除の社会学』という本の第一章に出てくる論文のなかで、「ホモセクシャルレズビアンは『わざと変なことをやっている』と思われる心配があるけれど、ユニークフェイスにはそうした心配がない」といったような語られ方がありました。もちろん、そうした言われ方も興味深いし、的を得ているところもあります。ただ、それに対して、「いや、実はユニークフェイスにも、わざとやっていると思われる時・人もあります」という言い方もできるのではないかと思います。)

非当事者の例で言えば、自分では当たり前に見ていた身体の部位を、他人から「あなたの目ってセクシー」とか「彼の背中って素敵」とまなざされる、と言ったことでしょうか。

これらに対して、「自分の身体を、【否定的なもの→肯定的なもの】と変えていく」という文脈・作業においては、おそらく当事者と非当事者は違うわけです。

最近よく言われることですが。当事者は「普通でない→普通」、非当事者は「醜→美」、となります。

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2006年10月16日
02:07
2: 森博史 | 削除
「自分の症状や肉体に対する、自分自身からのまなざしの平凡さ・軽さ」みたいなニュアンスでした。うまく表せず、すいません。

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2006年10月17日
02:06
4: 森博史 | 削除
とりあえず私のイメージしている「自分では当たり前だと思っていたけれど、周りから違和感を抱かれた、当事者の内面」はどんな状態か、考えてみます。↓

自尊心の軽さ:「自尊心が薄い」という意味かと思いました。自尊心は、「自分を尊敬する気持ち」だと思うので、自尊心はそれなりに高い(軽くない)と思います。

自らの肉体に対するまなざしの軽さ:こうした言い方は、あまりうまく言えていませんでしたが、「自分の肉体に対しては違和感なく感じている」というようなことを言いたかったのです。

なので、私の想定した当事者像は、「自尊心が高く、自身のスティグマを軽く(平凡に、違和感なく)見られる、当事者」です。

どうでしょうか。私自身まだまだ、これらを言葉で表現するのが難しく、うまく言えず、すいません。