【作成中】フォトブック(早稲田大学大学院社会科学研究科・2022年課題)

2022年に受講した早稲田大学大学院社会科学研究科「ヴィジュアルリテラシー」での課題で作成した、フォトブックのブログ版です。

 

※写真の掲載とともに、写真とはまったく別の場所で発表したエッセイの一部を転載します。

 

 

①『お母さんと僕』

 

※テキストは、『母の友・2007年2月号』
 (福音館書店、2007年)に寄稿した
 『髪の毛をなくした僕の体験』の一部です。

 

僕の毛が少しずつ抜け始めたのは、三歳のときでした。

幼いころに受けた脱毛症の治療には、ドライアイスを頭にぬる、というのもありました。

治療が終わったあと、病院のロビーで、ヒリヒリする頭を母の手で温めてもらいました。

「大人になるころには、僕みたいな子も髪の毛が生えてくるものなのだろう」

「大人になったときに、もしもまだ髪の毛が生えていなかったら、どうしよう……」

髪の毛のなくなった僕は、「病気だと、なんで髪の毛が生えないの?」「もう生えてこないの?」といろいろな人から難しい質問を受けて、困ってしまいました。

僕のことを大人になって母に聞いてみました。髪の毛が抜け始めたころに、町の中で鏡に写った自分の姿を見て、「なんか変だな」と言っていたそうです。

 

②『ひとりの日本人軍医が戦時中の中国で見たもの』

 

(エッセイは、『(タイトル未定)』(2022年)に寄稿した『(タイトル未定)』の一部です)

医師免許を持つ祖父は、1945年の終戦まで、「軍医」として中国大陸のあちこちをまわっていた。

「軍医」とは、軍隊のもとで兵士を診察したり治療したりする医師のことである。

 

あるとき、祖父は、ほうっておくと命に関わる病いをわずらった若い女性に出会った。

その女性は、朝鮮半島から来たコリアン、もしくは、中国大陸で生まれた中国人のようだった。

祖父が遠くの土地へ出発しなければならない日にちは、2、3ヶ月後に迫っていた。

2、3ヶ月の間、出発の直前まで彼女に医療行為をほどこした。

祖父は、彼女の病いが完全になおるのを見届けられないまま、遠くの土地へと向かった。

長い月日が流れた、ある日のこと。
その日、祖父は日本人が泊まる施設にいた。

外が騒がしい。

「軍医さんに会わせてください!」

祖父が聞き覚えのある声の主は、すっかり病いが完治して元気を取り戻した、あの女性だった。

彼女はたまたま祖父が宿泊していた施設の近くで働いていて、偶然、祖父の同僚に会ったという。

それで、彼女は、祖父と話すためだけに、わざわざ訪ねてきてくれたのである。

 

ユニークフェイスという居場所、脱毛症者という私

★2008年5月 『障害学研究・3』(障害学会・編/明石書店)に掲載。

 

ユニークフェイスという居場所、脱毛症者という私」

 

森博史(もりひろし 脱毛症)


ユニークフェイス」は、「見た目」に関わる病気や傷などを抱えるさまざまな人々が参加している患者会である。参加している人々の症状は、幅広い。私は脱毛症という症状を持っており、参加している。今回は、私の立場から、ユニークフェイスをめぐるいくつかの出来事を紹介する。

 

■私の症状


 私は、脱毛症という症状を持っている。簡単に言うと、毛髪の生えてこなくなる症状である。重い症状の人になると、体中のほとんど全ての毛が生えてこない。私の場合、3歳の頃にこの症状が始まり、髪の毛、眉毛、睫毛など体中の毛があっという間に無くなった。

 幼稚園へ行くと、見知らぬ子供たちが私のことを指さして、私に髪の毛の無いことを指摘していた。私は徐々に、「私が周りの子供たちとは違う」と感じていったようだ。小学校へ入る前に、一度だけカツラを作ったことがある。カツラを作る会社の人が、私の頭の型を取ってくれた。オーダーメイドのきちんとした製品を作ったのである。後日、出来上がったカツラを受け取るために、親に連れられてその会社へ行った。私はカツラを試着すると、とても不安そうにしていたそうだ。


 小学校に上がっても、周りには、私の頭に毛が無いことを知っている今までの同級生たちがいるだろう。私は子供の頃から、「カツラを付けたら、そのことでもっと悪口を言われる」と思っていた。それに、もしも周りが知らない子供たちばかりだったとしても、カツラを被って症状を隠し通す自信がなかった。そのために、カツラを被って生活することはなかった。また、小学校の途中までは病院に通っていたものの、治療が痛くて効果もあまり見られなかったため、治すことは断念した。


 素肌が顕わになった私の頭を初めて見る人のなかには、驚きや好奇心を剥き出しにする人もいた。たとえば小学生の頃に同級生と外で遊んでいると、知らない年上の子供たちがやって来て「髪の毛が無い」「怖い」などと言いながら、私と同級生たちの周りを物珍しそうに自転車で回っているといった出来事が何回かあった。


 さらに、高校へ入ると、状況は悪くなった。周りは初対面の同級生ばかりで、みんなオシャレや身だしなみに気を使う年頃である。髪の毛も、眉毛も、手足の毛も、ペニスの周りの毛も無い私は、出来損ないの規格外だった。同級生たちから「おまえと一緒にいると、変な目で見られる」と言われて、集合写真や学校の外ではいつも1人ぼっち、という時期もあった。


 けれど、20代になってからは、取り立てて周囲からの目立つ仲間はずれもなくなっていた。学校やアルバイト先の人たちなど、周りの人たちとも、ある程度は打ち解けた。それでも、私の髪の毛が無いことについて、良くは言わない人もいた。しかし、周囲は、髪の毛や眉毛が無いというだけで私を省く人ばかりではなくなっていた。なので、「自分と同じような立場にある人たちに出会いたい」とは、思わなかった。


 ところが、23歳のとき、ある出来事があった。昔の同級生たちとの同窓会の席で、私の脱毛症のことが話題にのぼったのである。昔の同級生たちが、昔の私のことを語っている。「私に毛が無いことによって、いかに私が他人から怖がられ避けられてきたか」を語っている。私は何を言えばよいのだろう……。私は言葉を失った。そして、「これ以上、『私とは違う人たち』と話していてもダメだ!」と思った。


 その翌日だったと思う。私はインターネット・カフェで、ユニークフェイスと脱毛症の患者会円形脱毛症を考える会)に参加する方法を調べていた。生まれて初めて、「同じような境遇を抱えて生きてきた人たちと対話しよう」と思った。今、生まれて初めて、自分から症状を持つ人々に働きかけようとしている。私は興奮した。震える手を抑えながら、手続きを白紙に綴った。参加する理由について、「自分と同じような境遇の人たちと出会いたいと考えました」というように書いたと思う。

 

■同じような境遇の人たちとの語り合い


 初めてユニークフェイスの集まりに参加したのは、2005年。ドキュメンタリー映画企画の説明会であった。当時、ユニークフェイスによるドキュメンタリー映画作りの説明会が、頻繁に行われていた。


 「初めての人もいるので、とりあえず、1人1人自己紹介していきましょう」と言われて、ドキッとした。もちろん、自己紹介はしたいのだ。けれど、このユニークフェイスという場では、「自己紹介をすること」は「症状を説明すること」を意味するだろう。「脱毛症」という言葉さえ、ほとんど人前で発したことのなかった私は、きちんと紹介できるだろうか。


 1人1人が自己紹介をしていき、ついに自分の番になった。体が固まった。


 「僕は……、森と言います……。脱毛症で……、まだ、集まりには出たことがないので……、今日は興味があって来ました。よろしくお願いします」


 そんなことを言うのが精一杯だった。自己紹介をするのに、一苦労である。この日はドキュメンタリー映画の話し合いだったので、症状のことはほとんど話さなかった。けれど、せっかくユニークフェイスに顔を出すようになったのだから、症状のことをとことん話せる集まりにも参加してみよう。私は、「ピアカウンセリング」という集まりに参加することにした。


 ユニークフェイスでは、症状を持つ1人1人が自分の思いを話し続けるピアカウンセリングという分かち合いを取り入れている。私がピアカウンセリングに初めて参加した時、参加者は私を含めて8人だった。


 ピアカウンセリングの最中は「言いっぱなし聴きっぱなし」が基本である。8人が四角いテーブルを囲み、順番に1人1人が思い思いの気持ちを語っていった(ピアカウンセリングで語られた内容については、原則非公開である)。


 まず、他の症状を持つ人たちの声に耳を傾けた。驚きだった。症状を持つために辛い思いをしてきたことを、この人たちは平気で口に出している。いや、「平気で」などではないのかもしれない。勇気を出して語っているのかもしれない。それでも、私は驚いた。私は今まで、人からそうした思いを聞いたことがなかったからである。それに、私はこれまでの人生で、そうした思いを人に話したこともなかった。


 やがて、私の話す順番が回ってきた。私も話さなければならない。私は、誰にも話したことのなかった昔のことを、口に出していた……。


 私にとって初対面の人たちばかりのピアカウンセリングではあったものの、すっかり胸のうちを明かした私は「もっとこの人たちと対話したい」と感じていた。そして、話し足りない私たちは喫茶店へ行き、存分に語り合った。症状を持つ「当事者」同士にしか分かり合えない気持ちの話ばかりで、盛り上がった。


 そこで、「幼少期の自分の写真を見た時」の話題になった。みな口々に、「子供の頃の自分が可愛い」と言う。そのとき、私は「そんなふうに過去の自分と向き合えるなんて、うらやましい」と思った。3歳で髪の毛と眉毛が抜け始めた私は、過去を思い出したくなかった。幼少期のアルバムなど、開いていなかった。私はまだ過去の自分と向き合えないでいた。

 

■「当事者」


 ユニークフェイスでは、症状を持つ人を指して「当事者」という言葉がよく使われる。これは、どういうことだろうか。たとえば脱毛症の患者会のなかであれば、「脱毛症の人」「この病気の人」などと言えば済む。しかし、ユニークフェイスには、非常に幅広い症状を持つ人たちが参加している。そのさまざまな人たちを一度に表せるために、「当事者」という言葉が広く使われているのだと思う。脱毛症も、その他の数多くの症状も、同じ「当事者」の症状である(ただし、脱毛症の患者会における症状を持つ人同士でも、脱毛症者のことを「当事者」と呼ぶことはある。便利な言葉ではある)。

 

 私は、ユニークフェイスの集まりに参加するうちに、さまざまな症状を持つ同世代の友人たちと出会うことができた。

 

 そのなかの1人の男性は、私とは異なる肌の症状を持っている。彼も私と同じように、幼児期から症状を持って生きてきた。「子供の頃は症状のことを聞かれるのが嫌だった。けれど、今はもっと聞いてほしい」と思っている。彼は大学に入学したのを機に、ユニークフェイスという組織への興味から参加した。彼は、私とは違う。私は「このままでは、肌に病気を持つ人々と語らずにはいられない!」と感じて、参加した。それに、 私は今でも突然子供から「なんで髪の毛が無いの?」と聞かれると、戸惑ってしまうことがある。彼と親しくなると、症状を持つ者同士ならではの遠慮のない会話を楽しめるようになった。私が「オレも○○○(彼の症状)の方が良かったなあ。」と言うと、彼は「そんなこと言ったら、オレも脱毛症の方が良かったよ」と言った。ユニークフェイスが雑多でなければ、分かち合うことのなかった2人である。


 また別の女性の友人は、また違った症状を持っている。彼女の場合、症状が酷い時には、肌が荒れてしまうという。そういえば私自身も幼少期に、彼女と同じような症状に悩まされたことがあったようだ。彼女は私に会ったばかりの頃に、「森さんの頭は趣味だと思いました」と言った。

 

■顔か、頭か


 ユニークフェイスにまったく参加していない脱毛症の人と話をすると、「ユニークフェイスって、脱毛症の人でも入れるんですか?」と聞かれることがある。ユニークフェイスは、あらゆる「見た目」に関わる症状を持つ人々に門戸が開かれている。よって、脱毛症もりっぱな、ユニークフェイスが対象とする「当事者」に当てはまる。ユニークフェイスが対象とする症状は、極めて多岐にわたっている。そして、それぞれの症状に特徴がある。私の症状である脱毛症による異なりが顕著に現れるのは、頭である。おそらく、脱毛症の人たちの中には、「ユニークフェイスは顔の問題、脱毛症は頭の問題」というイメージを持っている人もいるのだと思う。


 脱毛症の患者会のイベントに出席した時に、ユニークフェイスにも参加してくれたことのある人たちに話を聞くことができた。「ユニークフェイスは症状が幅広いけれど、脱毛症の患者会であれば多くの脱毛症の人たちに出会える」という意見を聞くことができた。たしかに、まったく同じ症状の人とじっくり出会いたければ、その症状のみの患者会へ行くのも良いかもしれない。また逆に、脱毛症の患者会で知り合った友人が、ユニークフェイスに興味を持って、ユニークフェイスのイベントを訪れてくれることもある。


 もちろん、「顔か、頭か」というような位置だけで、問題を分けることはできない。相談内容によって、問題はさまざまに異なってくるだろう。たとえば、症状を目立たなくする手段の問題がある。ユニークフェイスのイベントでは現在(2005〜2006年)、「カモフラージュ・メイク」や「カモフラージュ・セラピー」などと呼ばれる、素肌の表面にある症状を目立たなくするためのメイクの実演が行なわれることが多い。これは、素肌の表面に症状を抱える参加者を多く抱えるユニークフェイスにとって、自然な流れとも言える。その一方で、脱毛症の患者会のイベントでは、カツラのアレンジや眉毛メイクの実演が行なわれることが多い。


 「素肌の表面に症状を持つ人」には、その人なりのカモフラージュの手段がある。その一方で、「毛髪を失った人」には、その人なりのカモフラージュの手段がある。これら2者は、それぞれに手段が大きく異なるのである。すると、こうした相談をするのに、近い症状の人同士の方が便利だともいえる。もしかしたら、脱毛症の人たちの中には、「ユニークフェイスは肌の問題、脱毛症は毛髪の問題」というイメージを持っている人もいるのかもしれない。


 しかしながら、もちろんユニークフェイスには、「症状は違っていても似た背景を持つ人たちに出会えた」ということに良さを感じる人もいる。私も、その1人だ。また、脱毛症とは違う症状を持つ人と話すと、自分の症状をまた違った貴重な視点から見られるということもあるだろう。ユニークフェイスで出会う異なった症状の人同士は、「ほどよく遠く、ほどよく近い間柄」なのかもしれない。

 

■症状を持っていない友人


 ちょうど私がユニークフェイスに参加した頃のことである。私の友人(症状を持っていない女性)から、「森君はなんでいつもスキンヘッドなの?」と聞かれた。私が「病気なんだ」と答えると、友人は「そっか……。ごめんね、変なこと聞いちゃったね」と申し訳なさそうに言った。


 私がユニークフェイスについて楽しそうに話すようになると、友人が「一度、ユニークフェイスというのはどんな感じのものなのか、見てみたい」と言った。その頃ちょうど、大きなイベントがあったので、友人は手伝いとして参加してくれた。


 友人は、次のようなことを私に話してくれたことがある。


 「もし私が脱毛症の女の子だったら、やっぱり、すごく悩むと思う……」


 脱毛症を持っていない友人が、脱毛症を自分の身に置き換えてくれていた。「私とは違う人」が、私の症状を……。

脱毛と生きる人(4)――Dさん(女性、20代、円形脱毛症)

■はじめに 

Dさんは、高校生のときに円形脱毛症が発症して、髪の毛を失った。私と大きく違うのは、十数年の「髪の毛のある人生」を過ごした後に髪の毛を失った点である。「ものごころ付いてから失った、Dさん」と、「ものごころ付く前に失った、私」。まったく同じなのは、その日お互いにウィッグ(カツラ)を付けていたことだった。 

■高校生 

Dさんの髪の毛が徐々に抜け出したのは、高校生のときだった。 

周りの友達から「将来、はげるんじゃないの?」と言われた。Dさんは「そうかもしれないね」と笑って誤魔化(まか)したものの、内心は悲しかった。 
家に帰ると、部屋中の鏡は裏返し。自分の姿を見たくなかったからである。 
まもなく症状のひどくなったDさんは、症状を目立たなくするために、いやいやながらもウィッグを身に付けて登校するようになる。 
ところが、10代の女の子であるDさんにとって、「カツラを付ける」ということ自体が苦痛だった。 

私もDさんも、20代前半である。たしかに、「子供の頃から、カツラのテレビCMには大人の男性ばかりが出てきていた」という記憶がある。10代の私にとっても、「カツラはおじさんの付ける物」という印象だった。すくなくとも、「若い女の子が使う物」という印象はなかった。 

私「けっこう若いかた……、中学生とか高校生くらいの子でも、ウィッグを使わないで、素のままとかバンダナとかの人もいるみたいなんですけど、そういう選択は考えなかったんですか?」 

Dさん「なかったですね。親が世間体を気にするタイプだったので。ウィッグも初め、親に薦められたんです。それに、私も、バンダナや帽子は症状がわかってしまうので、好きではなかったんです」 

ウィッグを付けて登校し続けたDさんだったものの、しばらくすると、まるまる一ヵ月学校を休んでしまったことがあった。そのため、先生が自宅に来た。 

Dさん「先生は『五体満足で、手足が無いわけじゃないんだから、学校には行ける。 
髪の毛が無いだけ』って言うんですけれども」 

私「ああ、よく言われるような話ですよね(笑)。本人にとっては『いや、そういう話じゃないじゃん』っていう」 

Dさん「でも、私は負けず嫌いなので、『それなら行ってやる!』って感じで行っちゃいましたけど」 

そうして、学校生活を再開しようとしたDさんではあった。けれども、初めのうちはなかなか足が進まなかった。学校の近くまで来ても、引き返してしまう。学校に来ても、全ての授業に出られない。そんなことがあった。 

■安心 

もともとDさんは高校に入った頃から、インターネットを使っていた。なので、脱毛症が出始めてすぐに、ネットで他の脱毛症者の存在を知ることはできた。 

Dさん「はじめは、『こんな人、他にもいるのかな?』と疑問だったんですけれど、 ネットを見たら他にもいることがわかって、安心しました。同じ病気でも、学校へ行ったり仕事をしている人もいる。それも励みになって、学校に行けるようになったのもあると思います」 

たしかに、「私と同じ病気でも、こんなこともできている」という他の人たちを知った時は、励みになることがある。 

私の例で言えば、ウィッグの話がある。 
私は24歳になるまで、ウィッグを使っている円形脱毛症者と(たぶん)会話したことはなかった。なので、ウィッグがどのような物なのかも知らずにいた。そのため、「ウィッグはかっこ悪い物だ」と思い込んでいたのである。 
ところが、脱毛症の患者会に初めて参加したときに、イメージがガラリと変わった。 
ウィッグをきれいに着こなす人。ウィッグを格好良く着こなす人。それから、可愛いバンダナや帽子を身に付けている人も。 
「こんな生き方もあるのか……」と思った。それで、ウィッグにも挑戦してみようと思えたのである。 
もしも、私が脱毛症者たちに出会うことがなければ、ウィッグを使うこともなかったであろう。 

ある症状を持つ者は、同じ症状を持つ他者に出会うと、違う生き方を発見することがある。違う生き方を知ると、自分自身の生き方もよく見えてくる。 

それはまさに、海外で私が外国の人と話したときの気付き、に似ている。「同じ人間だ」と思い込んでいると、お互いの生き方に違いがあったことに、いきなり気付かされることがあるのだ。 
ニューヨーク生まれの青年が、私に日本人のモノマネを披露してくれたことがある。 
青年は「ハイ!ハイ、ハイ!ハイ!」と言いながら、電話を持って繰り返しうなずく仕草をする。私は思わず吹き出した。「似てるだろ?」という自慢げな様子の青年。 
たしかに似ている。アメリカ人は、電話口に向かってこんな仕草はしない。こんな違いがあったのか、と思う。 

話を、脱毛症に戻そう。 
長年、私は脱毛症者たちと出会わずにいた。彼らの生活を知らずにいた。そのため、 自分とは異なるさまざまな生き方を確認するのが随分あとになってしまった。 
子供の頃、母親から「昔、母親の同級生に脱毛症の子がいた」という話を聞いたことがあっただけだった。それきりで、自分と同じような人が他にもいることをはっきりとは知らないままで、高校生まで過ごしてきた。 
「この姿は、あってよいものなのだろうか?」と考えると、考えがまとまらなかった。自分の姿は、「だんだん毛髪が少なくなってきた人類」の進化における最先端の姿なのか……。それとも、単なる突然変異の不良品の姿なのか……。何も確かめようがなかった。 
10代の終わりになってから、やっと本やインターネットなどで脱毛症者の存在を知り始めたのである。そして、実際に脱毛症者たちと出会うのは、23歳から24歳にかけて、とずいぶん先のことになる。 
もっと早く自分と同じ人々と出会っていれば、よかったかもしれない。 
けれども、最近になって脱毛症者たちに出会った私の立場を肯定しようとするならば、何を言えるだろうか……。「長い旅をしてやっと辿り着いた、という醍醐味(だいごみ)を噛みしめている」とでも言おうか。 

■髪の毛に触れる感覚 

三歳で髪の毛を失った私の思い出には、自分自身の髪の毛に触れる感覚が残っていない。あるのは、他者の髪の毛に触れてきた感覚だけである。 

――――男性と一緒に料理屋で注文が来るのを待っているとき、冗談めかして、彼の髪の毛をいじった感覚。 

――――女の子と二人でテレビを見ているとき、いとしい気持ちで、その子の髪の毛を撫でた感覚。 

それらの感覚は、柔らかく私の中に入ってきた。不思議と、その髪の毛を自分にも欲しいとは思わなかった。ただ、その人たちに髪の毛があってくれて嬉しいと思った。 

Dさんの親しい脱毛症の友人たちのなかにも、物心つく前に髪の毛を失った人もいる。しかも、長い間ウィッグを使わずに生きてきた人もいる。 

Dさん「その友達は、高校もずっとウィッグを使ってなくて。その友達から『なんでトイレの鏡の前で、みんな髪の毛をいじるの?』と聞かれたことがあって。そのとき、『そういうことか……』と思いました」 

私「よく分かります。実は僕も、ウィッグを使い始めたのは、今年(2006年)からなんです」 

Dさん「えっ、そうなんですか!?」 

私「なので、今まではトイレに行くと、『なんで人は髪の毛なんかいじるんだろう?』と思ってました」 

■あったからこそ、求めている 

私の家族や親類には、同じ症状の人はいない。私は子供のころに、「なんで自分だけが、こんなふうになったんだろう」と思った。Dさんも周りとの違いを感じていたのだろう。 

Dさん「弟も父も母もフサフサなので、つらかったです。理解してもおうというのがなかったです。きっとわからないだろう、という」 

子供のころ、周囲に同じ症状の人がいなかった私は「もっと髪の毛が無い人が増えたら、良いのに……」と思った。 
そんな気持ちはありませんでしたか? 

Dさん「なかったです。『自分自身が元に戻る』という希望があったので、『他の人が無くなればよい』とは思いませんでした」 

私は、はっとした。私はもしかしたら、「他人が自分と同じようなマイナスの要素を背負うことで、自分が楽になれる」と考えていたのではないか。にもかかわらず、私もまた、「いつかは髪の毛が生えてくる」という夢を抱いていたのだ。 

Dさんは今も治りたいと思っている。 

Dさん「私は髪の毛があったからこそ、求めているんじゃないかと思います。もしも最初から髪の毛が無かったら、良さも知らずに終わってしまっていたかもしれません。もう一度、味わってみたい。自分自身の髪の毛を触る感覚を……」

脱毛と生きる人(3)--Cさん(女性、20代、円形脱毛症)とその夫

■はじめに 

その日、私が待ち合わせをしたのは、一組の夫婦だった。 
今回、話を伺うのは、脱毛症状を持つ本人だけではない。脱毛症状を抱える女性Cさ んと、その夫である。
Cさんは、円形脱毛症を抱えている。眉毛・マツ毛は生えてい るものの、頭髪が生えたり抜けたりを繰り返している。 

■彼女は、お客さん 

二人は何処で出会ったのだろう? 

Cさんの夫「昔ぼくが出していたお店に、お客さんとして彼女が来たんです」 

今日、Cさんはウィッグを身に付けている。Cさんは今の夫であるこの男性に対し て、きっと病気のことを明かした時があったのだろう。夫から気付かれるにせよ、C さんから言い出すにせよ。 

私「それから、お二人が親しくなられて結婚に至ると思うんですけれど、Cさんが症状を明かした時というのは、どういう状況だったんでしょうか?」 

夫「『なんか、頭がかゆい』みたいな」

私「えっと……、症状が出始めたのは、結婚された後なんですか?」

夫「はい、そうです」 

結婚後まもなくして、Cさんは、円形脱毛症を発症する。 
そのとき、どうでしたか? 

Cさん「『別れようかな』『ハゲの奥さんで大丈夫?』みたいな」 

髪の毛が少なくなり始めたCさんは、帽子や髪型で症状を誤魔化そうとした。けれど も、次第に隠せなくなる。髪の毛が無くなるに従って、だんだんオシャレもしなく なっていったという。化粧もしなくなってしまった。 
私も10代の頃、オシャレを諦めていた。 
中学校で、クラスのみんなで写真をとった時のことである。先生が「髪型が気になる 人は、トイレに行って直しておいで」と言った。トイレに駆け込む生徒たち。先生は悪くない。けれど、私は取り残された気持ちになってしまった。かつて、「髪型の作れない自分は、オシャレとは掛け離れた人間だ」と思っていた。 
ちなみに、最近の私はウィッグを使いだしてから、友人にオシャレな服を安く買える店を教えてもらった。そして、たまにオシャレな服も着るようになった。 

■言っちゃう派 

女性であっても男性であっても、脱毛症を持つ人が結婚しようとする時、婚約者である相手にはいずれ症状について説明する時が来るであろう。ウィッグを付けて症状を隠して生きていたとしても、素の頭を晒して生きていたとしても……。 
そんなことを考えて、「症状を説明する際の、Cさん独自の物語があったであろう」 などと勝手に早とちりしてしまっていた私は、「結婚後の発症」を知って、「そうしたケースもあるのだな」と改めて考えさせられた。 
では、Cさんの職場の人たちに対しては、症状について何か言っているのだろうか? 

Cさん「職場の人たちは、みんな知ってる。私は結構、『言っちゃう派』だから。それに、『今、どんな症状なの?』と聞かれると、けっこう見せちゃう。それで、むしろ私よりも見ちゃった人のほうが、逆にショックみたい。『そんなにひどかったの!?』『見ちゃって、ごめんね』みたいな」 

症状を晒すときの反応は、症状を持っている本人(Cさん)よりも、周囲のほうが大きいようである。 

Cさん「そりゃあ、私は普段から鏡で見慣れてるから。脱毛症の女性のかたの中には、『夫の前では絶対見せない』という人もいらっしゃるかもしれない。だけど、私は彼(夫)にも平気で見せちゃう」 

私は、「信頼している夫になら、見せても良い!」という生き方も、「夫の前では、可愛い私でいたいから、見せない!」という生き方も、どちらも可愛らしいと思う。 

Cさんは、普段よくバンダナ風の布を身に付けて日常を過ごしている。けれども、わりあい平気で、夫、親類、同僚などに対して、Cさんは素の頭を見せることもできる人なのだろう。 

■「どんな雰囲気なんだろう」 

Cさんはどのようにして、自分と同じ症状の人たちと出会ったのだろうか。出会うことに抵抗はあったのだろうか。 
症状が出始めてから約一年後のある日、Cさんは、夫の母親からパソコンを譲り受ける。 
それまで、ほとんどパソコンに触れたことのなかったCさんであったものの、一気にパソコンの虜(とりこ)になってしまった。なぜならば、インターネットの世界で、円形脱毛症の人々の作ったサイトや掲示板を発見したからである。 
やがて、円形脱毛症のサイトで、「オフ会」と呼ばれる脱毛症状を持つ人々だけが参加する飲み会の存在を知る。Cさんは参加してみようと思った。 

私「僕なんかは自分と同じ症状の人に出会う時に、とても怖かったんですけど、そういう気持ちはなかったですか?」 

Cさん「『怖い』という気持ちはなかったですね。むしろ、『早く会いたい!』という気持ちでした。それから、『どんな雰囲気なんだろう?』とか、『何を話したら良いんだろう?』とか……。あと、『オフ会では、カツラはずして話すのかなあ?』と心配してました(笑)。実際はそんなこともなかった(笑)」 

初めてオフ会に参加した時は、症状のこと、治療のこと、住んでいる所のことなどを話した。 
 
私「旦那さんとしては、心配ではなかったですか? 自分の知らないところで、Cさんが変な友達とか男性たちと飲み会をしているんじゃないか、という……(笑)」 

夫「それはやっぱり心配でした(笑)」 

Cさん「『私がオフ会に行っても良い?』と言った時も、普通に『良いよ』と言ってくれました」 

Cさんの夫は、オフ会に対して好意的である。「行かないよりは、行ったほうが良い」とも言っていた。 

■「あってほしい」と「ないでほしい」 

Cさん夫妻には、現在、子供はいない。 
「病気や障害を持つ人たちの中には、子供が同じ病気や障害を持ったことを嬉しく思う人もいれば、つらいと思う人もいる」という話を聞くことがある。 

私「もしも自分たちにお子さんができて、その子が脱毛症だったとしたら、どうですか?」 

Cさん「かわいそうだと思う、と思う。自分がつらい思いをしているから」 

夫「でも、自分たちの子供だから可愛いと思う、と思う」 

私は結婚をしたこともなければ、子供もいない。「自分の子供が脱毛症だったら……?」と考えるには、Cさん夫妻の立場と私とは違いすぎる。 
それならば、私とある程度の年齢が離れた年下の脱毛症の人たちについて、思い出してみよう。 
「同じ症状を持っているので余計に、弟や妹みたいで可愛い。同じ症状を持ってくれていて嬉しい」と思う。その反面、「治りたい子は、治ったらもっと楽しく生きられるかもしれない。僕の分まで治ってほしい」とも思う。 
症状についての、「あってほしい」という気持ちと、「ないでほしい」という気持ち。全く矛盾した二つの気持ちが錯綜しているのである。

「脱毛と生きる人(2)――Bさん(女性、20代、円形脱毛症)――」

■はじめに 

Bさんは、私と同じように、幼いころからの重度の円形脱毛症である。髪の毛や眉毛を始めとして、全身の髪が無い。私の人生と大きく異なるのは、幼少期から常にウィッグ(カツラ)を使用してきたことである。 

■「一人で頑張ってた」 

Bさんの症状が出始めたのは、4歳のとき。 

「幼稚園のころの写真を見ると、髪の毛がまばらになってた。すぐに無くなっちゃったみたい。ウィッグは、親が『可愛そうだから』と思って、買ってくれたんだと思う。それを付けて、そんなに違和感はなく暮らしてた」 

私とほとんど同じである。ただ唯一違うのは、Bさんが「ウィッグを使う」という選択をしたことである。私は、親にウィッグを買ってもらったものの、ついに日常生活では使うことはなかった。 

髪の毛も眉毛も無い幼児となった私は、幼稚園に行くと、親しくない子供から「あたまツルツル!」と遠くから言われた。また、高校生のころに幼稚園の庭の前を通ると、「ハゲだ!」「髪の毛、無い!」と大勢の子供たちから一斉に言われた。 


もしも私が「頭の毛が無いおじいさん」だったとしたら、これほどの反応があるとは思えない。たとえ幼稚園児といえども、普通の外見をした幼児・高校生との異なりを敏感に察知し、それを指摘するのである。幼児期のBさんに対する周囲の反応は、どうだったのだろうか。 

周りの子供から、いやなことは言われましたか? 

「ウィッグを付けてたので、人から何か言われたということはなかったけど、一人で頑張ってたなあ……。幼稚園で鉄棒をしていたときだったかなあ、ウィッグがとれちゃった。それを拾い上げて、走って教室まで行って、鏡の前で付けてた。一人で頑張ってたなあ……」 

■偶然の出会い 

Bさんは大勢の前で自己紹介をするとき、脱毛症のことを話すことがある。初めて自己紹介で脱毛症を告白したのは、中学一年生のときだった。入学したばかりのクラスの自己紹介でのことである。 

「勇気がある」と私は思った。中学生の私にとって、みんなの前で脱毛症について説明することなど、至難の業である。 

「だけど、私が『脱毛症です』と言っても、みんなよく分からなかったみたい。だから、そのまま隠した。隠すっていうより……、なんて言えばいいんだろう……。別に、言わないでいた」 

生徒たちの反応は「脱毛症って何? わかんない……」というものだったのだろう。しかし、なんとその生徒の中に、たった一人だけ脱毛症の女の子がいたのである。 

「最初、お母さん同士が親しくなってから、その子とは話すようになったんだと思う」 

このような若い時期に、直接に同世代の症状を持つ人と対話するチャンスに恵まれるとは、単純にラッキーだと思う。私は23歳になるまでの間、自分と同じ症状を持つ人と対話したことなどなかった。 

もっとも、私はそれまでにも、大勢の人がいるアルバイト先などで、脱毛症の人を見かけたことはあった。けれども、私は怖くて話しかけられなかった。「もしもそのような人と親しくなったら、脱毛症について触れなければならなくなるだろう」と、昔の私は考えた。昔の私は、この症状について語ることを恐れていたのである。 

■「怖さはなかった」 

Bさんも脱毛症の同級生に出会うまでに、病院やウィッグを作ってもらう会社の待合室で、脱毛症の人を見かけたことはあった。しかし、話をすることはなかった。 


それは怖かったからですか? 

「そんなことはない。『怖くて話しかけられない』という気持ちだったわけではなく、特に『話して友達になりたい』とか『何かを得たい』という考えはなかったから」 

私は、脱毛症の人々に出会おうとした頃に、怖さがあった。しかし、脱毛症の人々と出会った頃、感激し、安心感も得られた。 

Bさんは、脱毛症の友人に出会ったときに感動しましたか? 

「あんまり。趣味も全然違っていたし、そんなに『親しい仲になろう』とも思わなかった。ただ、周りのみんなには分からない脱毛症の話を二人でトイレで話してたのは、覚えてる」 

その脱毛症の友人を通じて、Bさんは脱毛症の患者会の存在を知る。その患者会の集まりや旅行で、多くの脱毛症者と出会った。 

その時も、あまり怖さはなかったのですか? 

「怖さはなかった。でも、同世代の女の子と出会えたり、大人の人たちが優しくしてくれたので、楽しかった」 

Bさんには、私が感じていたようなとてつもない恐怖感は、なかったように思える。私とBさんとの気持ちの違いは、どこから来ているだろうか。 

Bさんは、病院やウィッグを作ってもらう会社の待合室で、頻繁に脱毛症者と目を合わせる機会があっただろう。なので、生身の脱毛症者を身近に感じることができたと思う。 

それに対して、私は23年間、ほとんど脱毛症者を見かけずに(あるいは、意識せずに)生きてきた。街で見かけることはあっても、それは通りすがりの人にすぎない。 

したがって、私は他の脱毛症者と目を合わせる機会など皆無に等しかった。私の怖さは、脱毛症者との関わりに馴れていないことからも生まれたものかもしれない。 

私には、23歳になって初めて「出会う恐怖を乗り越えてでも、自分と同じ立場の人に出会わなければならない」と感じる出来事があった。久しぶりに再会した小学校の同級生たちから、「昔の私は毛髪が無いために嫌われることがあった」という事実を聞かされたのである。たとえどんなに仲良くできる人がいても、同級生たちの中には、誰一人として脱毛症者はいなかった。突然、私はとてつもない孤独を突き付けられた。そう感じた私は、頻繁に脱毛症者の集う様々なグループに顔を出すようになったのである。その結果、大きな感激や安心感を得た。この気持ちは、脱毛症者と出会いたいと欲する私の気持ちの強さから生まれたものでもあった、と思う。 

■「可愛い私でいたいから」 

私自身の気持ちについて、「たとえウィッグであっても、初対面では、髪の毛の長い女性に惹かれる傾向があってしまう」と思う。それは、自分自身の症状に対する抵抗感からなのか、脱毛症の女性の姿を見慣れていないからなのか、単純な好みからなのか、まだよくは分からないのだけれども。Bさんは、どうなのだろうか。 

髪の毛の豊かな男性と、そうではない男性、どっちが好きですか? 

「どっちでも大丈夫!」 

自分と同じ症状の人で、ウィッグをしていない男性をどう思いますか? 

「潔いなあ、と思う。その人は、その人なりに苦労しているのかもしれない。けれど、潔くてカッコイイと思う。女性でも、カッコイイと思う。その人には自分と違う人生があるので、興味がある」 

以前、別の10代の脱毛症女性と話したとき、その女性も「スキンヘッドって、カッコイイ」と言っていた。 けれども、その10代の女性もBさんも、ウィッグを使用している。 

「自分に当てはめたとき、人に頭を見せることは、簡単にはできない。仲の良い友達には見せることができたけれど、彼にはまだ。彼は私の症状を知っているけれど、まだ私のウィッグをとった姿は見せていないの。彼の前では、可愛い私でいたいから。それに、友達や彼の前でウィッグをとった姿を見せたら、どう思われるのか、不安。どんな視線を向けられるのか、心配」 

「症状を相手に知られた後も、素の姿を見せたくない」という気持ちは、私にもある。私はウィッグやバンダナも使っているので、「自分の症状は知ってもらっているけれど、素の頭を見せていない」という人間関係もできてくる。その人たちに対して、素の頭を見せるのは、抵抗がある。 

脱毛と生きる人(1)――Aさん(女性、20代、アトピー性皮膚炎による眉 毛の抜け毛)

■はじめに

Aさんは、アトピー性皮膚炎という肌の症状を持っている。Aさんは幼い頃、この症状が原因で眉毛が抜けてしまうことが多かった。

「今も、アトピーで目の周りにクマが出来ていたりするの」

Aさんは「眉毛が無いと、眉毛を剃っている不良のように思われるのではないか」と心配していた。大人の女性ならば、オシャレで眉毛を剃ってメイクで好きな形の眉毛を描くこともありえるだろう。しかし、当時のTさんは中学生の女の子であった。「眉毛が無いままでも、メイクで眉毛を書いても、どちらでも不良のやることと思われてしまうのではないか」。高校入試で面接を受けなければならず、そのことでよく泣いていた。面接のようなきちんとした場所へ行く時の注意として、「眉毛が出るくらいに前髪を整える」というものを聞く。しかし、眉毛の無い子供にとって、そのご注意は難題であるかもしれない。

「心配はよそに、高校には普通に受かってたんだけどね」と、Aさんは笑顔を見せる。

■「アイシャドーみたい」

Aさんの目の周りは、症状が酷い時、赤く腫れあがっている。小学校の頃、友人たちから「アイシャドーみたい」と言われた。Aさんが「そういう風に言われるのは、心外」と言うと、友達たちに「悪気があってそう言ったのではない」と弁解された。
私が「人と目を合わせるのが苦手なのは、やっぱり目の周りを見られるから?」と尋ねると、Aさんは「人の意識が自分に集中しているのが分かるから」と答えた。その辺を歩いている他人が自分を観察していても、それは気にならないのだという。

「顔を合わせて目を合わせている時は、見られていると自覚する時。その時は、嫌。相手と目を合わせている時は、『この人は、自分について何を考えているんだろう』と思ってしまう」

目の周りの症状を誤魔化すために、高校生の時に、よくメガネを掛けていた。Aさんの視力は、裸眼で「1.5」もある。「0.3」の私に比べて十分すぎるほど良く見えるはずだ。実はAさんのメガネは、近くの物を見るため専用のメガネである。Aさ
んは近くの物を見る時に、神経の集中の仕方により頭痛を引き起こしやすい体質の人らしい。そのメガネは、近くの物を見る時に、神経をやわらげる働きをするというのである。本来は、活字を読む時だけ使えば良いメガネを普段から好んで掛けていた。

「友達は『あんまり変わらないんじゃん』とか言うけどさ、自分がカモフラージュ出
来ていると思えれば良いの」

私の「他に、症状を誤魔化すためにしたことはある?」との問いに、Aさんは「下を向くこと」とつぶやいた。

■同じ症状の人とは、症状の話はあまりしない

私は、自分と同じ疾患(重度の脱毛症)を持つ他の人と接しようとした初めの頃、怖かった。それは、似通った相手の辛い物語を聴かなければならないのと同時に、自分の症状について話さなければならないという恐怖心だったのかもしれない。
私は、脱毛症など肌の疾患を持つ人たちと出会うまでは、自分から脱毛症のことを口にしたことなどほとんどなかった。かつて、この症状をおおいに語り合うこと自体がタブーであった。私が同じような物語を持つ人々と出会うことは、そのタブーを破る
ことでもあった。
Aさんは、初めて同じ症状の人と出会う時、恐怖心はなかったのだろうか。
自分と同じような人が中学校まで周りにいなかったAさんは、高校の友人を介して重度のアトピー性皮膚炎を抱える一人の同じ年の友人(男性)と出会った。

「(同じような人と出会うことは)怖くなかった。私は、友達に『同じような人がいるよ』と言われた時、話してみたいと思った。いっぺん話すべきだと思った。興味津々だった」

自分を「引っ込み思案」だと称するAさんの反応は、私にとって意外なものであった。Aさんは、私とは対照的である。初めて当事者同士で出会う時に、全くためらいがない。
ただ、Aさんがその友人に出会う時、普通の初対面の人になら感じるであろう「症状が原因で、はぶかれないか?」という心配を抱くことはないと予感していたという。
これは、私と同じである。目立つ脱毛症を抱える私は、その症状を晒して初対面の人と接する時、「症状が原因で、嫌われないか?」という心配を感じながら手探りで人間関係を作ってきたところがある。その一方で、自分と同じように顔に目立つ症状を
持つ人と出会う時には、そうした心配がないということを経験として知っている。
私は予期していた通り、肌に疾患を抱える親しい人と会うと、決まって症状から生じる気持ちの話が出る。しかし、Aさんはその友人に会っても、「人の目が見られない」といった症状に関する精神的な辛さの話は、あまりしないという。「言わなくても分かるから」だという。

■カワイイと思われたい

Aさんは疾患と「ブス」を結び付けている。

「女の子はやっぱりカワイイと思われたい。男からも、女からも。私は、この症状が原因で『ブス』だと思われるのが嫌い。『こんな見た目の人とは一緒にいたくない』と思われたくない。だけど、現実には、男性の『どんな女の子が好きかランキング』みたいなもので、『肌の白い人』『肌のきれいな人』なんていうのがある。私は論外じゃん、と思う」

私が「白くてきれいな肌の女の子をどう思いますか?」と尋ねると、Aさんは「いいなあ、ズルい、と思う」と答えた。
「そういう風になりたいと思ったことはありますか?」と尋ねると、「そんなの、宇宙旅行へ行くようなかけ離れた世界の話」だと 答えた。
たしかに、私にも思い当たる節はある。物心付いた頃から、テレビの中で女性にチヤホヤされている若い男性たちは皆さわやかな髪型をしていた。「髪型」の作りようのない私には、遠い世界の話であった。稚園に行っても、小学校に行っても、中学校に
行っても、高校に行っても、髪の毛が無いのは自分一人だけだった。「もっとたくさんの人に髪の毛が無かったなら、良かったのに」と思った。
それでも、そんな私でさえ、たとえカツラでも髪の毛が豊かな女の子を「女の子らしくて、カワイイ」と思うのだ。Aさんが男性の魅力をどう見ているのかと気になった。「Aさんは、肌のきれいな男性が好きなのだろうか?」と。

「男性に惹かれる時、肌のことは対象じゃない。自分に無いものを求めることはできない。肌がどうかよりは、むしろ形が大切だね」

■化粧

多くの一般男性には化粧をするという習慣がない。その一方で、女性には化粧をするという習慣がある。一見、男性であり脱毛症者である私からすれば、顔前面の肌に疾患を抱える女性にとって、症状を目立たなくしてくれる化粧の習慣自体が便利なもののように思われる。
だが、Aさんはこの化粧に関しても悩みを抱えていた。
Aさんは、子供の頃から、「症状が出ている時に化粧をすると、さらに症状を悪化させるだろう」と心配していた。「大人になったら化粧をしなければならないのに、自分はできない」と嘆いていた。
実際に成人した現在、アトピー性皮膚炎の症状が酷い時は、余計に痒くなったり症状が悪化したりする可能性があるので、化粧を控えている。もちろん、症状が出ていない時には、症状の痕を目立たなくするためにも化粧をする。Aさんは、顔に酷い症状
が現れている時こそ、症状を隠せない人なのである。

「顔に疾患を持っていながら化粧ができない成人女性」というAさんの将来像は、行く先に不安の影を落とした。
小学生の時に、テレビで活躍するタレントや女優に憧れたことがあった。けれど、「書類審査で落ちるだろう」と思い直した。また、「会社の受付のように見た目が大切になる仕事もしんどいだろう」と考えた。

「この前の飲み会に、とんでもないことを言う男がいたの。その男が『化粧をするのは、女の礼儀だ』なんて言ってた。そんなこと言ったら、化粧できない人はどうするんだと思った。私は聞く耳も持たなかった。そんな男とは話してもムダ。もちろん、
化粧ができない人もいるんだってことを、その人は分からないんだと思う」

Aさんは「自分の症状について分からない人もいる。その人には悪気がない」と分かっている。けれども、だからこそ、Aさんは一般に症状を理解されていないことを苦しく思うのだろう。
Aさんは化粧という習慣があることによって苦しんできた。それは、肌に疾患を持つ女性が化粧をして症状を隠し通す大変さや後ろめたさによる辛さではなく、(疾患を目立たなくすることもできる、あるいは、しきたりである)化粧ができないという辛
さであった。
けれど、「化粧をするのもやっぱり好き。きれいになりたいもん」と言う。化粧に関して、最後に私は「化粧をした自分とスッピンの自分、どっちが好きなの?」と聞いてみた。

「どっちも好き。自分の嫌いな症状も含めて好き。これが無くなったら、私じゃない気がする」

ねてました NE-TE-MA-SHI-TA


バンクーバーの生活・遊び情報誌『Oops! Japanese Magazine』September 18, 2009, 「Just a little something」より ↓)
http://www.oopsweb.com/2009/aboutus/just_something/09b/index.htm
『ねてました』
この街にやって来たばかりの頃、僕はある小さなお店に立ち寄った。
そして、お店のママにコーヒーを注文した。
そのとき、ママは僕が日本人だと気づいたようだ。
ママは、お店で働いている少女を紹介して、「この子は日本語が少し話せるのよ」と言った。
僕「コンニチハ」(日本語)
少女「コンニチハ。ワタシ、ネテマシタ」(日本語)
僕「あなたは眠っていましたか?」(英語)
少女「はい!」(英語)
最近、そのお店に立ち寄ってみたけれど、ママも少女もコーヒーも見かけることはなかった。
みんな、眠りについて夢の中にいるのかもしれない。
いや、もしかしたら、僕自身がこの街で長い夢を見ていたのかもしれない。
そろそろ、この街を出ることにしよう。
新しい夢でも見に行こう。
"NE-TE-MA-SHI-TA (I was sleeping)"
I dropped at one small shop when just coming to this town.
I ordered a coffee to the mama of the shop.
She noticed that I was a Japanese.
She introduced a girl and said, "She (the girl) can speak Japanese a little".
I: "KO-N-NI-CHI-WA (Hello)".
Girl : "KO-N-NI-CHI-WA (Hello). WA-TA-SHI, NE-TE-MA-SHI-TA (I was sleeping)".
I : "You were sleeping ?".
She : "Yes !".
Though I dropped at the shop recently, I didn't see the mama, the girl and coffees.
Everybody and everything may be dreaming in the middle of sleeping.
No, I might possibly have had a long dream in this town.
I will depart from this town soon.
I will go to have a new dream.