脱毛と生きる人(1)――Aさん(女性、20代、アトピー性皮膚炎による眉 毛の抜け毛)

■はじめに

Aさんは、アトピー性皮膚炎という肌の症状を持っている。Aさんは幼い頃、この症状が原因で眉毛が抜けてしまうことが多かった。

「今も、アトピーで目の周りにクマが出来ていたりするの」

Aさんは「眉毛が無いと、眉毛を剃っている不良のように思われるのではないか」と心配していた。大人の女性ならば、オシャレで眉毛を剃ってメイクで好きな形の眉毛を描くこともありえるだろう。しかし、当時のTさんは中学生の女の子であった。「眉毛が無いままでも、メイクで眉毛を書いても、どちらでも不良のやることと思われてしまうのではないか」。高校入試で面接を受けなければならず、そのことでよく泣いていた。面接のようなきちんとした場所へ行く時の注意として、「眉毛が出るくらいに前髪を整える」というものを聞く。しかし、眉毛の無い子供にとって、そのご注意は難題であるかもしれない。

「心配はよそに、高校には普通に受かってたんだけどね」と、Aさんは笑顔を見せる。

■「アイシャドーみたい」

Aさんの目の周りは、症状が酷い時、赤く腫れあがっている。小学校の頃、友人たちから「アイシャドーみたい」と言われた。Aさんが「そういう風に言われるのは、心外」と言うと、友達たちに「悪気があってそう言ったのではない」と弁解された。
私が「人と目を合わせるのが苦手なのは、やっぱり目の周りを見られるから?」と尋ねると、Aさんは「人の意識が自分に集中しているのが分かるから」と答えた。その辺を歩いている他人が自分を観察していても、それは気にならないのだという。

「顔を合わせて目を合わせている時は、見られていると自覚する時。その時は、嫌。相手と目を合わせている時は、『この人は、自分について何を考えているんだろう』と思ってしまう」

目の周りの症状を誤魔化すために、高校生の時に、よくメガネを掛けていた。Aさんの視力は、裸眼で「1.5」もある。「0.3」の私に比べて十分すぎるほど良く見えるはずだ。実はAさんのメガネは、近くの物を見るため専用のメガネである。Aさ
んは近くの物を見る時に、神経の集中の仕方により頭痛を引き起こしやすい体質の人らしい。そのメガネは、近くの物を見る時に、神経をやわらげる働きをするというのである。本来は、活字を読む時だけ使えば良いメガネを普段から好んで掛けていた。

「友達は『あんまり変わらないんじゃん』とか言うけどさ、自分がカモフラージュ出
来ていると思えれば良いの」

私の「他に、症状を誤魔化すためにしたことはある?」との問いに、Aさんは「下を向くこと」とつぶやいた。

■同じ症状の人とは、症状の話はあまりしない

私は、自分と同じ疾患(重度の脱毛症)を持つ他の人と接しようとした初めの頃、怖かった。それは、似通った相手の辛い物語を聴かなければならないのと同時に、自分の症状について話さなければならないという恐怖心だったのかもしれない。
私は、脱毛症など肌の疾患を持つ人たちと出会うまでは、自分から脱毛症のことを口にしたことなどほとんどなかった。かつて、この症状をおおいに語り合うこと自体がタブーであった。私が同じような物語を持つ人々と出会うことは、そのタブーを破る
ことでもあった。
Aさんは、初めて同じ症状の人と出会う時、恐怖心はなかったのだろうか。
自分と同じような人が中学校まで周りにいなかったAさんは、高校の友人を介して重度のアトピー性皮膚炎を抱える一人の同じ年の友人(男性)と出会った。

「(同じような人と出会うことは)怖くなかった。私は、友達に『同じような人がいるよ』と言われた時、話してみたいと思った。いっぺん話すべきだと思った。興味津々だった」

自分を「引っ込み思案」だと称するAさんの反応は、私にとって意外なものであった。Aさんは、私とは対照的である。初めて当事者同士で出会う時に、全くためらいがない。
ただ、Aさんがその友人に出会う時、普通の初対面の人になら感じるであろう「症状が原因で、はぶかれないか?」という心配を抱くことはないと予感していたという。
これは、私と同じである。目立つ脱毛症を抱える私は、その症状を晒して初対面の人と接する時、「症状が原因で、嫌われないか?」という心配を感じながら手探りで人間関係を作ってきたところがある。その一方で、自分と同じように顔に目立つ症状を
持つ人と出会う時には、そうした心配がないということを経験として知っている。
私は予期していた通り、肌に疾患を抱える親しい人と会うと、決まって症状から生じる気持ちの話が出る。しかし、Aさんはその友人に会っても、「人の目が見られない」といった症状に関する精神的な辛さの話は、あまりしないという。「言わなくても分かるから」だという。

■カワイイと思われたい

Aさんは疾患と「ブス」を結び付けている。

「女の子はやっぱりカワイイと思われたい。男からも、女からも。私は、この症状が原因で『ブス』だと思われるのが嫌い。『こんな見た目の人とは一緒にいたくない』と思われたくない。だけど、現実には、男性の『どんな女の子が好きかランキング』みたいなもので、『肌の白い人』『肌のきれいな人』なんていうのがある。私は論外じゃん、と思う」

私が「白くてきれいな肌の女の子をどう思いますか?」と尋ねると、Aさんは「いいなあ、ズルい、と思う」と答えた。
「そういう風になりたいと思ったことはありますか?」と尋ねると、「そんなの、宇宙旅行へ行くようなかけ離れた世界の話」だと 答えた。
たしかに、私にも思い当たる節はある。物心付いた頃から、テレビの中で女性にチヤホヤされている若い男性たちは皆さわやかな髪型をしていた。「髪型」の作りようのない私には、遠い世界の話であった。稚園に行っても、小学校に行っても、中学校に
行っても、高校に行っても、髪の毛が無いのは自分一人だけだった。「もっとたくさんの人に髪の毛が無かったなら、良かったのに」と思った。
それでも、そんな私でさえ、たとえカツラでも髪の毛が豊かな女の子を「女の子らしくて、カワイイ」と思うのだ。Aさんが男性の魅力をどう見ているのかと気になった。「Aさんは、肌のきれいな男性が好きなのだろうか?」と。

「男性に惹かれる時、肌のことは対象じゃない。自分に無いものを求めることはできない。肌がどうかよりは、むしろ形が大切だね」

■化粧

多くの一般男性には化粧をするという習慣がない。その一方で、女性には化粧をするという習慣がある。一見、男性であり脱毛症者である私からすれば、顔前面の肌に疾患を抱える女性にとって、症状を目立たなくしてくれる化粧の習慣自体が便利なもののように思われる。
だが、Aさんはこの化粧に関しても悩みを抱えていた。
Aさんは、子供の頃から、「症状が出ている時に化粧をすると、さらに症状を悪化させるだろう」と心配していた。「大人になったら化粧をしなければならないのに、自分はできない」と嘆いていた。
実際に成人した現在、アトピー性皮膚炎の症状が酷い時は、余計に痒くなったり症状が悪化したりする可能性があるので、化粧を控えている。もちろん、症状が出ていない時には、症状の痕を目立たなくするためにも化粧をする。Aさんは、顔に酷い症状
が現れている時こそ、症状を隠せない人なのである。

「顔に疾患を持っていながら化粧ができない成人女性」というAさんの将来像は、行く先に不安の影を落とした。
小学生の時に、テレビで活躍するタレントや女優に憧れたことがあった。けれど、「書類審査で落ちるだろう」と思い直した。また、「会社の受付のように見た目が大切になる仕事もしんどいだろう」と考えた。

「この前の飲み会に、とんでもないことを言う男がいたの。その男が『化粧をするのは、女の礼儀だ』なんて言ってた。そんなこと言ったら、化粧できない人はどうするんだと思った。私は聞く耳も持たなかった。そんな男とは話してもムダ。もちろん、
化粧ができない人もいるんだってことを、その人は分からないんだと思う」

Aさんは「自分の症状について分からない人もいる。その人には悪気がない」と分かっている。けれども、だからこそ、Aさんは一般に症状を理解されていないことを苦しく思うのだろう。
Aさんは化粧という習慣があることによって苦しんできた。それは、肌に疾患を持つ女性が化粧をして症状を隠し通す大変さや後ろめたさによる辛さではなく、(疾患を目立たなくすることもできる、あるいは、しきたりである)化粧ができないという辛
さであった。
けれど、「化粧をするのもやっぱり好き。きれいになりたいもん」と言う。化粧に関して、最後に私は「化粧をした自分とスッピンの自分、どっちが好きなの?」と聞いてみた。

「どっちも好き。自分の嫌いな症状も含めて好き。これが無くなったら、私じゃない気がする」