脱毛と生きる人(4)――Dさん(女性、20代、円形脱毛症)

■はじめに 

Dさんは、高校生のときに円形脱毛症が発症して、髪の毛を失った。私と大きく違うのは、十数年の「髪の毛のある人生」を過ごした後に髪の毛を失った点である。「ものごころ付いてから失った、Dさん」と、「ものごころ付く前に失った、私」。まったく同じなのは、その日お互いにウィッグ(カツラ)を付けていたことだった。 

■高校生 

Dさんの髪の毛が徐々に抜け出したのは、高校生のときだった。 

周りの友達から「将来、はげるんじゃないの?」と言われた。Dさんは「そうかもしれないね」と笑って誤魔化(まか)したものの、内心は悲しかった。 
家に帰ると、部屋中の鏡は裏返し。自分の姿を見たくなかったからである。 
まもなく症状のひどくなったDさんは、症状を目立たなくするために、いやいやながらもウィッグを身に付けて登校するようになる。 
ところが、10代の女の子であるDさんにとって、「カツラを付ける」ということ自体が苦痛だった。 

私もDさんも、20代前半である。たしかに、「子供の頃から、カツラのテレビCMには大人の男性ばかりが出てきていた」という記憶がある。10代の私にとっても、「カツラはおじさんの付ける物」という印象だった。すくなくとも、「若い女の子が使う物」という印象はなかった。 

私「けっこう若いかた……、中学生とか高校生くらいの子でも、ウィッグを使わないで、素のままとかバンダナとかの人もいるみたいなんですけど、そういう選択は考えなかったんですか?」 

Dさん「なかったですね。親が世間体を気にするタイプだったので。ウィッグも初め、親に薦められたんです。それに、私も、バンダナや帽子は症状がわかってしまうので、好きではなかったんです」 

ウィッグを付けて登校し続けたDさんだったものの、しばらくすると、まるまる一ヵ月学校を休んでしまったことがあった。そのため、先生が自宅に来た。 

Dさん「先生は『五体満足で、手足が無いわけじゃないんだから、学校には行ける。 
髪の毛が無いだけ』って言うんですけれども」 

私「ああ、よく言われるような話ですよね(笑)。本人にとっては『いや、そういう話じゃないじゃん』っていう」 

Dさん「でも、私は負けず嫌いなので、『それなら行ってやる!』って感じで行っちゃいましたけど」 

そうして、学校生活を再開しようとしたDさんではあった。けれども、初めのうちはなかなか足が進まなかった。学校の近くまで来ても、引き返してしまう。学校に来ても、全ての授業に出られない。そんなことがあった。 

■安心 

もともとDさんは高校に入った頃から、インターネットを使っていた。なので、脱毛症が出始めてすぐに、ネットで他の脱毛症者の存在を知ることはできた。 

Dさん「はじめは、『こんな人、他にもいるのかな?』と疑問だったんですけれど、 ネットを見たら他にもいることがわかって、安心しました。同じ病気でも、学校へ行ったり仕事をしている人もいる。それも励みになって、学校に行けるようになったのもあると思います」 

たしかに、「私と同じ病気でも、こんなこともできている」という他の人たちを知った時は、励みになることがある。 

私の例で言えば、ウィッグの話がある。 
私は24歳になるまで、ウィッグを使っている円形脱毛症者と(たぶん)会話したことはなかった。なので、ウィッグがどのような物なのかも知らずにいた。そのため、「ウィッグはかっこ悪い物だ」と思い込んでいたのである。 
ところが、脱毛症の患者会に初めて参加したときに、イメージがガラリと変わった。 
ウィッグをきれいに着こなす人。ウィッグを格好良く着こなす人。それから、可愛いバンダナや帽子を身に付けている人も。 
「こんな生き方もあるのか……」と思った。それで、ウィッグにも挑戦してみようと思えたのである。 
もしも、私が脱毛症者たちに出会うことがなければ、ウィッグを使うこともなかったであろう。 

ある症状を持つ者は、同じ症状を持つ他者に出会うと、違う生き方を発見することがある。違う生き方を知ると、自分自身の生き方もよく見えてくる。 

それはまさに、海外で私が外国の人と話したときの気付き、に似ている。「同じ人間だ」と思い込んでいると、お互いの生き方に違いがあったことに、いきなり気付かされることがあるのだ。 
ニューヨーク生まれの青年が、私に日本人のモノマネを披露してくれたことがある。 
青年は「ハイ!ハイ、ハイ!ハイ!」と言いながら、電話を持って繰り返しうなずく仕草をする。私は思わず吹き出した。「似てるだろ?」という自慢げな様子の青年。 
たしかに似ている。アメリカ人は、電話口に向かってこんな仕草はしない。こんな違いがあったのか、と思う。 

話を、脱毛症に戻そう。 
長年、私は脱毛症者たちと出会わずにいた。彼らの生活を知らずにいた。そのため、 自分とは異なるさまざまな生き方を確認するのが随分あとになってしまった。 
子供の頃、母親から「昔、母親の同級生に脱毛症の子がいた」という話を聞いたことがあっただけだった。それきりで、自分と同じような人が他にもいることをはっきりとは知らないままで、高校生まで過ごしてきた。 
「この姿は、あってよいものなのだろうか?」と考えると、考えがまとまらなかった。自分の姿は、「だんだん毛髪が少なくなってきた人類」の進化における最先端の姿なのか……。それとも、単なる突然変異の不良品の姿なのか……。何も確かめようがなかった。 
10代の終わりになってから、やっと本やインターネットなどで脱毛症者の存在を知り始めたのである。そして、実際に脱毛症者たちと出会うのは、23歳から24歳にかけて、とずいぶん先のことになる。 
もっと早く自分と同じ人々と出会っていれば、よかったかもしれない。 
けれども、最近になって脱毛症者たちに出会った私の立場を肯定しようとするならば、何を言えるだろうか……。「長い旅をしてやっと辿り着いた、という醍醐味(だいごみ)を噛みしめている」とでも言おうか。 

■髪の毛に触れる感覚 

三歳で髪の毛を失った私の思い出には、自分自身の髪の毛に触れる感覚が残っていない。あるのは、他者の髪の毛に触れてきた感覚だけである。 

――――男性と一緒に料理屋で注文が来るのを待っているとき、冗談めかして、彼の髪の毛をいじった感覚。 

――――女の子と二人でテレビを見ているとき、いとしい気持ちで、その子の髪の毛を撫でた感覚。 

それらの感覚は、柔らかく私の中に入ってきた。不思議と、その髪の毛を自分にも欲しいとは思わなかった。ただ、その人たちに髪の毛があってくれて嬉しいと思った。 

Dさんの親しい脱毛症の友人たちのなかにも、物心つく前に髪の毛を失った人もいる。しかも、長い間ウィッグを使わずに生きてきた人もいる。 

Dさん「その友達は、高校もずっとウィッグを使ってなくて。その友達から『なんでトイレの鏡の前で、みんな髪の毛をいじるの?』と聞かれたことがあって。そのとき、『そういうことか……』と思いました」 

私「よく分かります。実は僕も、ウィッグを使い始めたのは、今年(2006年)からなんです」 

Dさん「えっ、そうなんですか!?」 

私「なので、今まではトイレに行くと、『なんで人は髪の毛なんかいじるんだろう?』と思ってました」 

■あったからこそ、求めている 

私の家族や親類には、同じ症状の人はいない。私は子供のころに、「なんで自分だけが、こんなふうになったんだろう」と思った。Dさんも周りとの違いを感じていたのだろう。 

Dさん「弟も父も母もフサフサなので、つらかったです。理解してもおうというのがなかったです。きっとわからないだろう、という」 

子供のころ、周囲に同じ症状の人がいなかった私は「もっと髪の毛が無い人が増えたら、良いのに……」と思った。 
そんな気持ちはありませんでしたか? 

Dさん「なかったです。『自分自身が元に戻る』という希望があったので、『他の人が無くなればよい』とは思いませんでした」 

私は、はっとした。私はもしかしたら、「他人が自分と同じようなマイナスの要素を背負うことで、自分が楽になれる」と考えていたのではないか。にもかかわらず、私もまた、「いつかは髪の毛が生えてくる」という夢を抱いていたのだ。 

Dさんは今も治りたいと思っている。 

Dさん「私は髪の毛があったからこそ、求めているんじゃないかと思います。もしも最初から髪の毛が無かったら、良さも知らずに終わってしまっていたかもしれません。もう一度、味わってみたい。自分自身の髪の毛を触る感覚を……」