脱毛と生きる人(3)--Cさん(女性、20代、円形脱毛症)とその夫

■はじめに 

その日、私が待ち合わせをしたのは、一組の夫婦だった。 
今回、話を伺うのは、脱毛症状を持つ本人だけではない。脱毛症状を抱える女性Cさ んと、その夫である。
Cさんは、円形脱毛症を抱えている。眉毛・マツ毛は生えてい るものの、頭髪が生えたり抜けたりを繰り返している。 

■彼女は、お客さん 

二人は何処で出会ったのだろう? 

Cさんの夫「昔ぼくが出していたお店に、お客さんとして彼女が来たんです」 

今日、Cさんはウィッグを身に付けている。Cさんは今の夫であるこの男性に対し て、きっと病気のことを明かした時があったのだろう。夫から気付かれるにせよ、C さんから言い出すにせよ。 

私「それから、お二人が親しくなられて結婚に至ると思うんですけれど、Cさんが症状を明かした時というのは、どういう状況だったんでしょうか?」 

夫「『なんか、頭がかゆい』みたいな」

私「えっと……、症状が出始めたのは、結婚された後なんですか?」

夫「はい、そうです」 

結婚後まもなくして、Cさんは、円形脱毛症を発症する。 
そのとき、どうでしたか? 

Cさん「『別れようかな』『ハゲの奥さんで大丈夫?』みたいな」 

髪の毛が少なくなり始めたCさんは、帽子や髪型で症状を誤魔化そうとした。けれど も、次第に隠せなくなる。髪の毛が無くなるに従って、だんだんオシャレもしなく なっていったという。化粧もしなくなってしまった。 
私も10代の頃、オシャレを諦めていた。 
中学校で、クラスのみんなで写真をとった時のことである。先生が「髪型が気になる 人は、トイレに行って直しておいで」と言った。トイレに駆け込む生徒たち。先生は悪くない。けれど、私は取り残された気持ちになってしまった。かつて、「髪型の作れない自分は、オシャレとは掛け離れた人間だ」と思っていた。 
ちなみに、最近の私はウィッグを使いだしてから、友人にオシャレな服を安く買える店を教えてもらった。そして、たまにオシャレな服も着るようになった。 

■言っちゃう派 

女性であっても男性であっても、脱毛症を持つ人が結婚しようとする時、婚約者である相手にはいずれ症状について説明する時が来るであろう。ウィッグを付けて症状を隠して生きていたとしても、素の頭を晒して生きていたとしても……。 
そんなことを考えて、「症状を説明する際の、Cさん独自の物語があったであろう」 などと勝手に早とちりしてしまっていた私は、「結婚後の発症」を知って、「そうしたケースもあるのだな」と改めて考えさせられた。 
では、Cさんの職場の人たちに対しては、症状について何か言っているのだろうか? 

Cさん「職場の人たちは、みんな知ってる。私は結構、『言っちゃう派』だから。それに、『今、どんな症状なの?』と聞かれると、けっこう見せちゃう。それで、むしろ私よりも見ちゃった人のほうが、逆にショックみたい。『そんなにひどかったの!?』『見ちゃって、ごめんね』みたいな」 

症状を晒すときの反応は、症状を持っている本人(Cさん)よりも、周囲のほうが大きいようである。 

Cさん「そりゃあ、私は普段から鏡で見慣れてるから。脱毛症の女性のかたの中には、『夫の前では絶対見せない』という人もいらっしゃるかもしれない。だけど、私は彼(夫)にも平気で見せちゃう」 

私は、「信頼している夫になら、見せても良い!」という生き方も、「夫の前では、可愛い私でいたいから、見せない!」という生き方も、どちらも可愛らしいと思う。 

Cさんは、普段よくバンダナ風の布を身に付けて日常を過ごしている。けれども、わりあい平気で、夫、親類、同僚などに対して、Cさんは素の頭を見せることもできる人なのだろう。 

■「どんな雰囲気なんだろう」 

Cさんはどのようにして、自分と同じ症状の人たちと出会ったのだろうか。出会うことに抵抗はあったのだろうか。 
症状が出始めてから約一年後のある日、Cさんは、夫の母親からパソコンを譲り受ける。 
それまで、ほとんどパソコンに触れたことのなかったCさんであったものの、一気にパソコンの虜(とりこ)になってしまった。なぜならば、インターネットの世界で、円形脱毛症の人々の作ったサイトや掲示板を発見したからである。 
やがて、円形脱毛症のサイトで、「オフ会」と呼ばれる脱毛症状を持つ人々だけが参加する飲み会の存在を知る。Cさんは参加してみようと思った。 

私「僕なんかは自分と同じ症状の人に出会う時に、とても怖かったんですけど、そういう気持ちはなかったですか?」 

Cさん「『怖い』という気持ちはなかったですね。むしろ、『早く会いたい!』という気持ちでした。それから、『どんな雰囲気なんだろう?』とか、『何を話したら良いんだろう?』とか……。あと、『オフ会では、カツラはずして話すのかなあ?』と心配してました(笑)。実際はそんなこともなかった(笑)」 

初めてオフ会に参加した時は、症状のこと、治療のこと、住んでいる所のことなどを話した。 
 
私「旦那さんとしては、心配ではなかったですか? 自分の知らないところで、Cさんが変な友達とか男性たちと飲み会をしているんじゃないか、という……(笑)」 

夫「それはやっぱり心配でした(笑)」 

Cさん「『私がオフ会に行っても良い?』と言った時も、普通に『良いよ』と言ってくれました」 

Cさんの夫は、オフ会に対して好意的である。「行かないよりは、行ったほうが良い」とも言っていた。 

■「あってほしい」と「ないでほしい」 

Cさん夫妻には、現在、子供はいない。 
「病気や障害を持つ人たちの中には、子供が同じ病気や障害を持ったことを嬉しく思う人もいれば、つらいと思う人もいる」という話を聞くことがある。 

私「もしも自分たちにお子さんができて、その子が脱毛症だったとしたら、どうですか?」 

Cさん「かわいそうだと思う、と思う。自分がつらい思いをしているから」 

夫「でも、自分たちの子供だから可愛いと思う、と思う」 

私は結婚をしたこともなければ、子供もいない。「自分の子供が脱毛症だったら……?」と考えるには、Cさん夫妻の立場と私とは違いすぎる。 
それならば、私とある程度の年齢が離れた年下の脱毛症の人たちについて、思い出してみよう。 
「同じ症状を持っているので余計に、弟や妹みたいで可愛い。同じ症状を持ってくれていて嬉しい」と思う。その反面、「治りたい子は、治ったらもっと楽しく生きられるかもしれない。僕の分まで治ってほしい」とも思う。 
症状についての、「あってほしい」という気持ちと、「ないでほしい」という気持ち。全く矛盾した二つの気持ちが錯綜しているのである。