ユニークフェイスという居場所、脱毛症者という私

★2008年5月 『障害学研究・3』(障害学会・編/明石書店)に掲載。

 

ユニークフェイスという居場所、脱毛症者という私」

 

森博史(もりひろし 脱毛症)


ユニークフェイス」は、「見た目」に関わる病気や傷などを抱えるさまざまな人々が参加している患者会である。参加している人々の症状は、幅広い。私は脱毛症という症状を持っており、参加している。今回は、私の立場から、ユニークフェイスをめぐるいくつかの出来事を紹介する。

 

■私の症状


 私は、脱毛症という症状を持っている。簡単に言うと、毛髪の生えてこなくなる症状である。重い症状の人になると、体中のほとんど全ての毛が生えてこない。私の場合、3歳の頃にこの症状が始まり、髪の毛、眉毛、睫毛など体中の毛があっという間に無くなった。

 幼稚園へ行くと、見知らぬ子供たちが私のことを指さして、私に髪の毛の無いことを指摘していた。私は徐々に、「私が周りの子供たちとは違う」と感じていったようだ。小学校へ入る前に、一度だけカツラを作ったことがある。カツラを作る会社の人が、私の頭の型を取ってくれた。オーダーメイドのきちんとした製品を作ったのである。後日、出来上がったカツラを受け取るために、親に連れられてその会社へ行った。私はカツラを試着すると、とても不安そうにしていたそうだ。


 小学校に上がっても、周りには、私の頭に毛が無いことを知っている今までの同級生たちがいるだろう。私は子供の頃から、「カツラを付けたら、そのことでもっと悪口を言われる」と思っていた。それに、もしも周りが知らない子供たちばかりだったとしても、カツラを被って症状を隠し通す自信がなかった。そのために、カツラを被って生活することはなかった。また、小学校の途中までは病院に通っていたものの、治療が痛くて効果もあまり見られなかったため、治すことは断念した。


 素肌が顕わになった私の頭を初めて見る人のなかには、驚きや好奇心を剥き出しにする人もいた。たとえば小学生の頃に同級生と外で遊んでいると、知らない年上の子供たちがやって来て「髪の毛が無い」「怖い」などと言いながら、私と同級生たちの周りを物珍しそうに自転車で回っているといった出来事が何回かあった。


 さらに、高校へ入ると、状況は悪くなった。周りは初対面の同級生ばかりで、みんなオシャレや身だしなみに気を使う年頃である。髪の毛も、眉毛も、手足の毛も、ペニスの周りの毛も無い私は、出来損ないの規格外だった。同級生たちから「おまえと一緒にいると、変な目で見られる」と言われて、集合写真や学校の外ではいつも1人ぼっち、という時期もあった。


 けれど、20代になってからは、取り立てて周囲からの目立つ仲間はずれもなくなっていた。学校やアルバイト先の人たちなど、周りの人たちとも、ある程度は打ち解けた。それでも、私の髪の毛が無いことについて、良くは言わない人もいた。しかし、周囲は、髪の毛や眉毛が無いというだけで私を省く人ばかりではなくなっていた。なので、「自分と同じような立場にある人たちに出会いたい」とは、思わなかった。


 ところが、23歳のとき、ある出来事があった。昔の同級生たちとの同窓会の席で、私の脱毛症のことが話題にのぼったのである。昔の同級生たちが、昔の私のことを語っている。「私に毛が無いことによって、いかに私が他人から怖がられ避けられてきたか」を語っている。私は何を言えばよいのだろう……。私は言葉を失った。そして、「これ以上、『私とは違う人たち』と話していてもダメだ!」と思った。


 その翌日だったと思う。私はインターネット・カフェで、ユニークフェイスと脱毛症の患者会円形脱毛症を考える会)に参加する方法を調べていた。生まれて初めて、「同じような境遇を抱えて生きてきた人たちと対話しよう」と思った。今、生まれて初めて、自分から症状を持つ人々に働きかけようとしている。私は興奮した。震える手を抑えながら、手続きを白紙に綴った。参加する理由について、「自分と同じような境遇の人たちと出会いたいと考えました」というように書いたと思う。

 

■同じような境遇の人たちとの語り合い


 初めてユニークフェイスの集まりに参加したのは、2005年。ドキュメンタリー映画企画の説明会であった。当時、ユニークフェイスによるドキュメンタリー映画作りの説明会が、頻繁に行われていた。


 「初めての人もいるので、とりあえず、1人1人自己紹介していきましょう」と言われて、ドキッとした。もちろん、自己紹介はしたいのだ。けれど、このユニークフェイスという場では、「自己紹介をすること」は「症状を説明すること」を意味するだろう。「脱毛症」という言葉さえ、ほとんど人前で発したことのなかった私は、きちんと紹介できるだろうか。


 1人1人が自己紹介をしていき、ついに自分の番になった。体が固まった。


 「僕は……、森と言います……。脱毛症で……、まだ、集まりには出たことがないので……、今日は興味があって来ました。よろしくお願いします」


 そんなことを言うのが精一杯だった。自己紹介をするのに、一苦労である。この日はドキュメンタリー映画の話し合いだったので、症状のことはほとんど話さなかった。けれど、せっかくユニークフェイスに顔を出すようになったのだから、症状のことをとことん話せる集まりにも参加してみよう。私は、「ピアカウンセリング」という集まりに参加することにした。


 ユニークフェイスでは、症状を持つ1人1人が自分の思いを話し続けるピアカウンセリングという分かち合いを取り入れている。私がピアカウンセリングに初めて参加した時、参加者は私を含めて8人だった。


 ピアカウンセリングの最中は「言いっぱなし聴きっぱなし」が基本である。8人が四角いテーブルを囲み、順番に1人1人が思い思いの気持ちを語っていった(ピアカウンセリングで語られた内容については、原則非公開である)。


 まず、他の症状を持つ人たちの声に耳を傾けた。驚きだった。症状を持つために辛い思いをしてきたことを、この人たちは平気で口に出している。いや、「平気で」などではないのかもしれない。勇気を出して語っているのかもしれない。それでも、私は驚いた。私は今まで、人からそうした思いを聞いたことがなかったからである。それに、私はこれまでの人生で、そうした思いを人に話したこともなかった。


 やがて、私の話す順番が回ってきた。私も話さなければならない。私は、誰にも話したことのなかった昔のことを、口に出していた……。


 私にとって初対面の人たちばかりのピアカウンセリングではあったものの、すっかり胸のうちを明かした私は「もっとこの人たちと対話したい」と感じていた。そして、話し足りない私たちは喫茶店へ行き、存分に語り合った。症状を持つ「当事者」同士にしか分かり合えない気持ちの話ばかりで、盛り上がった。


 そこで、「幼少期の自分の写真を見た時」の話題になった。みな口々に、「子供の頃の自分が可愛い」と言う。そのとき、私は「そんなふうに過去の自分と向き合えるなんて、うらやましい」と思った。3歳で髪の毛と眉毛が抜け始めた私は、過去を思い出したくなかった。幼少期のアルバムなど、開いていなかった。私はまだ過去の自分と向き合えないでいた。

 

■「当事者」


 ユニークフェイスでは、症状を持つ人を指して「当事者」という言葉がよく使われる。これは、どういうことだろうか。たとえば脱毛症の患者会のなかであれば、「脱毛症の人」「この病気の人」などと言えば済む。しかし、ユニークフェイスには、非常に幅広い症状を持つ人たちが参加している。そのさまざまな人たちを一度に表せるために、「当事者」という言葉が広く使われているのだと思う。脱毛症も、その他の数多くの症状も、同じ「当事者」の症状である(ただし、脱毛症の患者会における症状を持つ人同士でも、脱毛症者のことを「当事者」と呼ぶことはある。便利な言葉ではある)。

 

 私は、ユニークフェイスの集まりに参加するうちに、さまざまな症状を持つ同世代の友人たちと出会うことができた。

 

 そのなかの1人の男性は、私とは異なる肌の症状を持っている。彼も私と同じように、幼児期から症状を持って生きてきた。「子供の頃は症状のことを聞かれるのが嫌だった。けれど、今はもっと聞いてほしい」と思っている。彼は大学に入学したのを機に、ユニークフェイスという組織への興味から参加した。彼は、私とは違う。私は「このままでは、肌に病気を持つ人々と語らずにはいられない!」と感じて、参加した。それに、 私は今でも突然子供から「なんで髪の毛が無いの?」と聞かれると、戸惑ってしまうことがある。彼と親しくなると、症状を持つ者同士ならではの遠慮のない会話を楽しめるようになった。私が「オレも○○○(彼の症状)の方が良かったなあ。」と言うと、彼は「そんなこと言ったら、オレも脱毛症の方が良かったよ」と言った。ユニークフェイスが雑多でなければ、分かち合うことのなかった2人である。


 また別の女性の友人は、また違った症状を持っている。彼女の場合、症状が酷い時には、肌が荒れてしまうという。そういえば私自身も幼少期に、彼女と同じような症状に悩まされたことがあったようだ。彼女は私に会ったばかりの頃に、「森さんの頭は趣味だと思いました」と言った。

 

■顔か、頭か


 ユニークフェイスにまったく参加していない脱毛症の人と話をすると、「ユニークフェイスって、脱毛症の人でも入れるんですか?」と聞かれることがある。ユニークフェイスは、あらゆる「見た目」に関わる症状を持つ人々に門戸が開かれている。よって、脱毛症もりっぱな、ユニークフェイスが対象とする「当事者」に当てはまる。ユニークフェイスが対象とする症状は、極めて多岐にわたっている。そして、それぞれの症状に特徴がある。私の症状である脱毛症による異なりが顕著に現れるのは、頭である。おそらく、脱毛症の人たちの中には、「ユニークフェイスは顔の問題、脱毛症は頭の問題」というイメージを持っている人もいるのだと思う。


 脱毛症の患者会のイベントに出席した時に、ユニークフェイスにも参加してくれたことのある人たちに話を聞くことができた。「ユニークフェイスは症状が幅広いけれど、脱毛症の患者会であれば多くの脱毛症の人たちに出会える」という意見を聞くことができた。たしかに、まったく同じ症状の人とじっくり出会いたければ、その症状のみの患者会へ行くのも良いかもしれない。また逆に、脱毛症の患者会で知り合った友人が、ユニークフェイスに興味を持って、ユニークフェイスのイベントを訪れてくれることもある。


 もちろん、「顔か、頭か」というような位置だけで、問題を分けることはできない。相談内容によって、問題はさまざまに異なってくるだろう。たとえば、症状を目立たなくする手段の問題がある。ユニークフェイスのイベントでは現在(2005〜2006年)、「カモフラージュ・メイク」や「カモフラージュ・セラピー」などと呼ばれる、素肌の表面にある症状を目立たなくするためのメイクの実演が行なわれることが多い。これは、素肌の表面に症状を抱える参加者を多く抱えるユニークフェイスにとって、自然な流れとも言える。その一方で、脱毛症の患者会のイベントでは、カツラのアレンジや眉毛メイクの実演が行なわれることが多い。


 「素肌の表面に症状を持つ人」には、その人なりのカモフラージュの手段がある。その一方で、「毛髪を失った人」には、その人なりのカモフラージュの手段がある。これら2者は、それぞれに手段が大きく異なるのである。すると、こうした相談をするのに、近い症状の人同士の方が便利だともいえる。もしかしたら、脱毛症の人たちの中には、「ユニークフェイスは肌の問題、脱毛症は毛髪の問題」というイメージを持っている人もいるのかもしれない。


 しかしながら、もちろんユニークフェイスには、「症状は違っていても似た背景を持つ人たちに出会えた」ということに良さを感じる人もいる。私も、その1人だ。また、脱毛症とは違う症状を持つ人と話すと、自分の症状をまた違った貴重な視点から見られるということもあるだろう。ユニークフェイスで出会う異なった症状の人同士は、「ほどよく遠く、ほどよく近い間柄」なのかもしれない。

 

■症状を持っていない友人


 ちょうど私がユニークフェイスに参加した頃のことである。私の友人(症状を持っていない女性)から、「森君はなんでいつもスキンヘッドなの?」と聞かれた。私が「病気なんだ」と答えると、友人は「そっか……。ごめんね、変なこと聞いちゃったね」と申し訳なさそうに言った。


 私がユニークフェイスについて楽しそうに話すようになると、友人が「一度、ユニークフェイスというのはどんな感じのものなのか、見てみたい」と言った。その頃ちょうど、大きなイベントがあったので、友人は手伝いとして参加してくれた。


 友人は、次のようなことを私に話してくれたことがある。


 「もし私が脱毛症の女の子だったら、やっぱり、すごく悩むと思う……」


 脱毛症を持っていない友人が、脱毛症を自分の身に置き換えてくれていた。「私とは違う人」が、私の症状を……。