「脱毛と生きる人(2)――Bさん(女性、20代、円形脱毛症)――」

■はじめに 

Bさんは、私と同じように、幼いころからの重度の円形脱毛症である。髪の毛や眉毛を始めとして、全身の髪が無い。私の人生と大きく異なるのは、幼少期から常にウィッグ(カツラ)を使用してきたことである。 

■「一人で頑張ってた」 

Bさんの症状が出始めたのは、4歳のとき。 

「幼稚園のころの写真を見ると、髪の毛がまばらになってた。すぐに無くなっちゃったみたい。ウィッグは、親が『可愛そうだから』と思って、買ってくれたんだと思う。それを付けて、そんなに違和感はなく暮らしてた」 

私とほとんど同じである。ただ唯一違うのは、Bさんが「ウィッグを使う」という選択をしたことである。私は、親にウィッグを買ってもらったものの、ついに日常生活では使うことはなかった。 

髪の毛も眉毛も無い幼児となった私は、幼稚園に行くと、親しくない子供から「あたまツルツル!」と遠くから言われた。また、高校生のころに幼稚園の庭の前を通ると、「ハゲだ!」「髪の毛、無い!」と大勢の子供たちから一斉に言われた。 


もしも私が「頭の毛が無いおじいさん」だったとしたら、これほどの反応があるとは思えない。たとえ幼稚園児といえども、普通の外見をした幼児・高校生との異なりを敏感に察知し、それを指摘するのである。幼児期のBさんに対する周囲の反応は、どうだったのだろうか。 

周りの子供から、いやなことは言われましたか? 

「ウィッグを付けてたので、人から何か言われたということはなかったけど、一人で頑張ってたなあ……。幼稚園で鉄棒をしていたときだったかなあ、ウィッグがとれちゃった。それを拾い上げて、走って教室まで行って、鏡の前で付けてた。一人で頑張ってたなあ……」 

■偶然の出会い 

Bさんは大勢の前で自己紹介をするとき、脱毛症のことを話すことがある。初めて自己紹介で脱毛症を告白したのは、中学一年生のときだった。入学したばかりのクラスの自己紹介でのことである。 

「勇気がある」と私は思った。中学生の私にとって、みんなの前で脱毛症について説明することなど、至難の業である。 

「だけど、私が『脱毛症です』と言っても、みんなよく分からなかったみたい。だから、そのまま隠した。隠すっていうより……、なんて言えばいいんだろう……。別に、言わないでいた」 

生徒たちの反応は「脱毛症って何? わかんない……」というものだったのだろう。しかし、なんとその生徒の中に、たった一人だけ脱毛症の女の子がいたのである。 

「最初、お母さん同士が親しくなってから、その子とは話すようになったんだと思う」 

このような若い時期に、直接に同世代の症状を持つ人と対話するチャンスに恵まれるとは、単純にラッキーだと思う。私は23歳になるまでの間、自分と同じ症状を持つ人と対話したことなどなかった。 

もっとも、私はそれまでにも、大勢の人がいるアルバイト先などで、脱毛症の人を見かけたことはあった。けれども、私は怖くて話しかけられなかった。「もしもそのような人と親しくなったら、脱毛症について触れなければならなくなるだろう」と、昔の私は考えた。昔の私は、この症状について語ることを恐れていたのである。 

■「怖さはなかった」 

Bさんも脱毛症の同級生に出会うまでに、病院やウィッグを作ってもらう会社の待合室で、脱毛症の人を見かけたことはあった。しかし、話をすることはなかった。 


それは怖かったからですか? 

「そんなことはない。『怖くて話しかけられない』という気持ちだったわけではなく、特に『話して友達になりたい』とか『何かを得たい』という考えはなかったから」 

私は、脱毛症の人々に出会おうとした頃に、怖さがあった。しかし、脱毛症の人々と出会った頃、感激し、安心感も得られた。 

Bさんは、脱毛症の友人に出会ったときに感動しましたか? 

「あんまり。趣味も全然違っていたし、そんなに『親しい仲になろう』とも思わなかった。ただ、周りのみんなには分からない脱毛症の話を二人でトイレで話してたのは、覚えてる」 

その脱毛症の友人を通じて、Bさんは脱毛症の患者会の存在を知る。その患者会の集まりや旅行で、多くの脱毛症者と出会った。 

その時も、あまり怖さはなかったのですか? 

「怖さはなかった。でも、同世代の女の子と出会えたり、大人の人たちが優しくしてくれたので、楽しかった」 

Bさんには、私が感じていたようなとてつもない恐怖感は、なかったように思える。私とBさんとの気持ちの違いは、どこから来ているだろうか。 

Bさんは、病院やウィッグを作ってもらう会社の待合室で、頻繁に脱毛症者と目を合わせる機会があっただろう。なので、生身の脱毛症者を身近に感じることができたと思う。 

それに対して、私は23年間、ほとんど脱毛症者を見かけずに(あるいは、意識せずに)生きてきた。街で見かけることはあっても、それは通りすがりの人にすぎない。 

したがって、私は他の脱毛症者と目を合わせる機会など皆無に等しかった。私の怖さは、脱毛症者との関わりに馴れていないことからも生まれたものかもしれない。 

私には、23歳になって初めて「出会う恐怖を乗り越えてでも、自分と同じ立場の人に出会わなければならない」と感じる出来事があった。久しぶりに再会した小学校の同級生たちから、「昔の私は毛髪が無いために嫌われることがあった」という事実を聞かされたのである。たとえどんなに仲良くできる人がいても、同級生たちの中には、誰一人として脱毛症者はいなかった。突然、私はとてつもない孤独を突き付けられた。そう感じた私は、頻繁に脱毛症者の集う様々なグループに顔を出すようになったのである。その結果、大きな感激や安心感を得た。この気持ちは、脱毛症者と出会いたいと欲する私の気持ちの強さから生まれたものでもあった、と思う。 

■「可愛い私でいたいから」 

私自身の気持ちについて、「たとえウィッグであっても、初対面では、髪の毛の長い女性に惹かれる傾向があってしまう」と思う。それは、自分自身の症状に対する抵抗感からなのか、脱毛症の女性の姿を見慣れていないからなのか、単純な好みからなのか、まだよくは分からないのだけれども。Bさんは、どうなのだろうか。 

髪の毛の豊かな男性と、そうではない男性、どっちが好きですか? 

「どっちでも大丈夫!」 

自分と同じ症状の人で、ウィッグをしていない男性をどう思いますか? 

「潔いなあ、と思う。その人は、その人なりに苦労しているのかもしれない。けれど、潔くてカッコイイと思う。女性でも、カッコイイと思う。その人には自分と違う人生があるので、興味がある」 

以前、別の10代の脱毛症女性と話したとき、その女性も「スキンヘッドって、カッコイイ」と言っていた。 けれども、その10代の女性もBさんも、ウィッグを使用している。 

「自分に当てはめたとき、人に頭を見せることは、簡単にはできない。仲の良い友達には見せることができたけれど、彼にはまだ。彼は私の症状を知っているけれど、まだ私のウィッグをとった姿は見せていないの。彼の前では、可愛い私でいたいから。それに、友達や彼の前でウィッグをとった姿を見せたら、どう思われるのか、不安。どんな視線を向けられるのか、心配」 

「症状を相手に知られた後も、素の姿を見せたくない」という気持ちは、私にもある。私はウィッグやバンダナも使っているので、「自分の症状は知ってもらっているけれど、素の頭を見せていない」という人間関係もできてくる。その人たちに対して、素の頭を見せるのは、抵抗がある。