【作成中】フォトブック(早稲田大学大学院社会科学研究科・2022年課題)
2022年に受講した早稲田大学大学院社会科学研究科「ヴィジュアルリテラシー」での課題で作成した、フォトブックのブログ版です。
※写真の掲載とともに、写真とはまったく別の場所で発表したエッセイの一部を転載します。
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①『お母さんと僕』
※テキストは、『母の友・2007年2月号』
(福音館書店、2007年)に寄稿した
『髪の毛をなくした僕の体験』の一部です。
僕の毛が少しずつ抜け始めたのは、三歳のときでした。
幼いころに受けた脱毛症の治療には、ドライアイスを頭にぬる、というのもありました。
治療が終わったあと、病院のロビーで、ヒリヒリする頭を母の手で温めてもらいました。
「大人になるころには、僕みたいな子も髪の毛が生えてくるものなのだろう」
「大人になったときに、もしもまだ髪の毛が生えていなかったら、どうしよう……」
髪の毛のなくなった僕は、「病気だと、なんで髪の毛が生えないの?」「もう生えてこないの?」といろいろな人から難しい質問を受けて、困ってしまいました。
僕のことを大人になって母に聞いてみました。髪の毛が抜け始めたころに、町の中で鏡に写った自分の姿を見て、「なんか変だな」と言っていたそうです。
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②『ひとりの日本人軍医が戦時中の中国で見たもの』
(エッセイは、『(タイトル未定)』(2022年)に寄稿した『(タイトル未定)』の一部です)
医師免許を持つ祖父は、1945年の終戦まで、「軍医」として中国大陸のあちこちをまわっていた。
「軍医」とは、軍隊のもとで兵士を診察したり治療したりする医師のことである。
あるとき、祖父は、ほうっておくと命に関わる病いをわずらった若い女性に出会った。
その女性は、朝鮮半島から来たコリアン、もしくは、中国大陸で生まれた中国人のようだった。
祖父が遠くの土地へ出発しなければならない日にちは、2、3ヶ月後に迫っていた。
2、3ヶ月の間、出発の直前まで彼女に医療行為をほどこした。
祖父は、彼女の病いが完全になおるのを見届けられないまま、遠くの土地へと向かった。
長い月日が流れた、ある日のこと。
その日、祖父は日本人が泊まる施設にいた。
外が騒がしい。
「軍医さんに会わせてください!」
祖父が聞き覚えのある声の主は、すっかり病いが完治して元気を取り戻した、あの女性だった。
彼女はたまたま祖父が宿泊していた施設の近くで働いていて、偶然、祖父の同僚に会ったという。
それで、彼女は、祖父と話すためだけに、わざわざ訪ねてきてくれたのである。